2010-03-02 04:42:12
テーマ:動物病院の四季

季節は7月、遅い夏がシアトル郊外にもやって来た。
友人宅のテラスでこれを書いている 僕の足元にはこの家の愛犬ジャジャ(シェパードの雑種、雌、4歳)が昼寝をしている。
庭先のモミの枝が不自然に揺れた。すかさず彼女は飛び起き、駆け出す。モミの木の前に作られた花壇に飛び込むかと思いきや、大きく迂回して、大木の根元に達し、頭上に向かって盛んに吼え始めた。恐らくリスなんだろう。
彼女は決して花壇には入らない。花壇の柵の前で必ず諦める。以前モグラを追いかけて花壇の土を掘り起こして御主人にひどく叱られた事を忘れない。
ジャジャは再び僕の足元に戻り、うたた寝を始めた。時々森の木々の擦れる音に耳をそば立ている。遠来の客を野生動物から守るボディーガード役を務めているつもりらしい。何せこの森にはコヨーテはからクーガまでもが生息している。
僕はヒトが犬と共に暮らし始めた太古の森を想像している。
人が犬を家畜化したのは一万五千年前頃といわれている。最近の遺伝子工学を用いた研究により西アジアで数頭のオオカミから現在の犬が作られた事が分かってきた。以来、チワワからセントバーナードまで多様な犬が人の目的に応じて、ある意味では人の勝手な都合により改良されてきた。ある人が犬は人類が作った最高の生きた芸術作品と評した。猟犬は嗅覚、聴力、視力を特化させた狩猟能力を選抜し、愛玩犬は愛らしい仕草、飼い主への依存性、従順性を追求して改良されてきた。
僕は今までこの人類のイヌの改良の歴史を必ずしも了としてこなかった。
何か命を弄ぶ人のエゴのような、うさんくさい臭いを感じてきた。
しかし今、僕は足元でボデェーガードを任じているジャジャの寝息に深い安堵感に満たされている。人が犬を友とした其の動機の一端を感じている。
2010-02-18 02:21:52
テーマ:
北海道サホロ岳尾根筋に酷寒の風が厳しい。
ゴンドラ山頂駅を飛び出して数秒後に口髭は凍りつき、顔の皮膚感覚がない。
風は微風だが、気温はマイナス20度を割っている。そして滑降による風圧で体感温度はマイナス50度を下回る。
私は早くも2年ぶりのスキーの滑りに酔い始めている。
意識しなくてもスキーエッジがリズミカルに雪面を捉える。
半世紀あまりを掛けて蓄積した感覚が眼を覚ます。
体はスキーを忘れていなかった。
乾いたエッジ音が心地よい。
しかしこの爽快感が規則正しいエッジの切り替え音から来るだけでないことに気付き始めている。
昨夜の再会。
出会いから40余年振りの同窓会。
昨夜の酔いの名残りなのか。昨夜の談笑の余韻なのか。
日常を飛び抜けて今朝は体も心も軽い。
40年の歳月の重さを跳ね返す旧友の変わらぬ輝きを、何度も何度も思い返して眠った朝の目覚めは爽やかだった。
巡り着た道程に残した数々の悔恨、至らなさへの未練。
それでも尚、昨夜の友の表情は、深い安堵に満たされていた。
静かな諦観を伴う穏やかさが私を包み込んだ。
私は昨夜の宴を囲んだ皆の顔を満たす『身の丈の人生を精一杯正直に生きた落着き。そして明日もその様であろうとする覚悟』に勇気付けられている。その透明さに背中を押されている。
それは偉大には程遠く、何程でもない、何処にでもある、ありふれた人生ドラマ。しかし一般論では語りえない個別の重さ。
ある奴が私にしみじみと語った。
「地位も名誉も銭もいらん。若さと体力だけ欲しいな・・・」
世俗の塵としがらみにドップリ浸かり、足を取られながらも今尚遠くを見続ける視線。
自らはこうありたいと思い続ける矜持。
事に臨んで『それは違う』と何時でもいえる自分を持ち続ける頑固さ。
この一点の拘りが私をあえて悪雪のコースに誘う。
私に圧雪された平穏なコースを避けさせる。

日高山脈の深雪を滑る
—スキーヤーは帯広畜産大学・松井教授—
2010-02-09 02:53:39
テーマ:動物病院の四季

ハワイ島コナ、コーストの乾いた潮風が心地よいホテルのテラス。
家内がスズメやハトにパンくずをやっている。
一昨日よりも昨日、そして今朝。スズメたちが我々との距離を縮めてきた。
今一羽のスズメは私の手先30センチの距離だ。
今度は家内がバターピーナツを噛み砕いている。
『スズメに塩分、バターは良くないんじゃないか』
そんな私の助言に彼女は盛んに口の中で塩分、バターを取り除いている。
『ママ あのスズメはメタボだぜ』
『毎日、宿泊客からエサをもらっているみたいね。自然界のエサよりはるかに高カロリーよね』そんなことを言いながらも彼女は止めない。
ここの鳥は完全に人が与えるエサに依存し、自然界でエサを探す習性がなくなりつつある。
私はかねてより言い続けてきた。
『自然には絶対に手を触れないようにしましょう』
そんな私の主張とは裏腹に、こともあろうか家内が野鳥を餌付けしている。
人が餌付けする事により、人になつき易い特定の種が繁栄する。
それが本来の生態系バランスを崩している例は世界で枚挙にいとまが無い。
しかし今、私は考えを少々修正しようとしている。
この島ではもう何世代も前から人が餌付けをし、鳥は人に依存して生きる術を獲得した。完全な人為環境に適応した野生。これも進化の一端かもしれない。
人が小鳥に対し「かわいい」「手を差し伸べたい」と思う気持ちが変わらない以上、人は身近な鳥にエサを与え続けるだろう。
だったらまず、我々は人為環境と完全な自然環境を明確に区別して接するルールを作る必要があるのではないか。
触れる事がある程度許される野生とは何なのか。
4本目となるビールが私を思考の迷宮に誘いこむ。
この風が私にビールを空けさせる。
2010-01-30 03:37:14
テーマ:動物病院の四季

「おばちゃん 豚臭い車で悪いな」
昨日の予防接種の残り香、豚舎の臭いが強烈な車内。僕は北岡のおばちゃんを軽四輪に乗せて家まで送る途中である。
彼女はいつもの如く迷い込んできた家出猫を連れて診察にやって来た。年の瀬、12月の寒空を一時間も掛け、自転車に乗って。
「先生、一週間前私、軽い脳梗塞で入院したんよ」
そんな話聞いてしまったからには又一時間の夜道を自転車で帰すわけにはいかんじゃないか。彼女との付き合いはもう10年以上になる。今まで数多くの家出猫がその終末を迎えるため彼女の家を訪れた。例外なくボロボロにやせ細り、猫エイズあるいは猫白血病に侵され、余命幾ばくも無い体を引きずって北岡宅にたどり着いた。
「先生!又入りこんで来たんよ。もうだめだと思うけど、何とか少しだけ楽にしてやって」
70歳を過ぎた今も働きに出るおばちゃん。その僅かな稼ぎを握りしめ、私を見詰める。
「北岡さん、不思議だよな。猫も最後に頼る処が解るんだ」
「先は見えているが少しでも気分良くしような。じゃーいつも通り、すべて込みの料金で」
そんなやり取りが何回とも無く続いてきた。
しかし今回の車内で語る彼女の話に私は受け答えの言葉も無く、逃げ出したい衝動にハンドル操作がぎこちない。彼女は25歳で夫と死別し、以来3人の子供を育て上げた。昼はスーパーのレジ打ち、夜は工事現場の交通整理で稼ぎ、睡眠時間を3時間に削って、分譲住宅のローンも完済したと言う。
それだけでも並大抵の人生ではなかったはずなのに。今日連れてきた猫に重ねて語る彼女の娘さんの話に私は足腰が立たない。娘さんは2人の子持ち、40歳すぎか。乳がんの全身転移。後少しの命だと言う。
「娘はかなりの痛みなのに、愚痴一つ言わんのだわ。この猫が娘と重なって」
おばちゃんと自転車を下ろし、
「それじゃーまた」
そんなことしか言えない私には今夜の寒風がつら過ぎる。
2010-01-29 15:34:04
テーマ:お知らせ
一昨年、共同通信の配信で全国の地方紙にて連載を行いました『動物病院の四季』が思わぬご好評を頂きました。私はそれをこんな場末の瑣末な日常の取るに足らない拘りへの連帯のエールであったと感じたのです。一瞬で型を失う泡沫のごとき善意がこの世の中を満たしているとの確信でもありました。
幸いにも続編シリーズのオファーを頂き、昨秋、連載が終了しましたのでブログ上での連載を開始します。
回を重ねるごとに自らの股間の矮小さを恥じ入るがごとき思いが沈殿します。
―身の丈を超えず地を這う―そんなことを自らに再確認する厳冬の夜です。
御高覧、ご講評をいただければ幸いです。
