石黒獣医科病院

院長室 Toshiharu Ishigro Official Blog

2007-05-10 03:39:44

春爛漫

テーマ:院長のつぶやき

朝から日差しが眩しい。風はもう夏を思わせる。乾燥した風を胸いっぱいに吸い込むと本当に日本に生まれたことをつくづく良かったと思う。そんな朝早く診察室の鍵を開けた途端、これ又今日の風に相応しく、軽やかな良く通る声が響く。
「先生! おはよう ワハァハァ」
「まんだ早かったかな ゴメン ゴメン 入ってもええか」
「うん 今掃除してるで 一寸待ってて ところでどうしたん?」
「又 出来ちまった ワファハァハァ」
「ええ 奥さん 確か?::: 一番下の子を去年の今頃じゃなかったっけ:::::::」
「違う 違う 女房じゃなくってさ こいつ こいつ」
そう言えば 鈴木さん、小脇にヨークシャテリアのプッシーを抱えている。
「ヒエー 又かよ 去年の暮れに産んだばかりだべさ」
見れば又々ボテ腹のプッシー、痩せちまって全身の被毛は疎らでゴワゴワ。
背骨も肋骨も皮膚をつき上げ、左右に出張った腹部は胎児の動きが透けて見えるようだ。
キョトンとしたまん丸な目が鈴木さんを見上げている。頼り切ったいじらしい眼差し。
「前回産んだ子犬を出したばかりじゃねえか」
「先生に言われて、早くボッキーを去勢しようと思ってたんだが、又やっちまいやがった」
「だから言ったべえ ええかげんにせんと、身が持たねーぞって!」
この言い方はいかん。鈴木の奥さんに波及しかねない。

鈴木家は昔から多産系なのだ。プッシーも4歳にして既に今回で5産目。20頭の子持ちである。素人が純血種の交配をすることには原則として反対の僕だが、何故か彼には甘い。
天地の運行に全てを任せるかのような彼と彼の家族の生き方に圧倒されている。
 ランダムブリーディングによる遺伝性疾患の増加が大きな問題になっている。
僕は「この子の跡継ぎがほしい」の純粋な願いから「子犬1匹10万円」の金銭欲まで一般家庭で子犬を産ませる動機に何か人間の自己中心的な欲望を感じてしまう。動物愛護や学術的観点からではなく、寧ろ議論以前のこの我欲が僕には美しくない、気に入らない。
「小谷先生 点滴してやって」
「鈴木さん 今回限りだぞ 皆で頑張って何とか産ませるべ」

しかし何て名だ!
雄の名前がボッキー、そしてこ奴がプッシー。
ボッキー(勃起 ?)とプッシー(割れ目ちゃん)
本当に何て名だ!!
「飼い主さんの名前よりワンちゃん、ネコちゃんの名前で呼んであげなさい」
「その方が飼い主さんも安心して、心を開いてくれるからね!」 朝礼での僕の訓示。
当院の看護婦は皆素直なのだ。おまけに歴代、皆美人なのだ。
「ボッキーちゃんとプッシーちゃん 奥の診察台にどうぞ」
おいおい一寸待て! しまった! 教育不足だあ。
大きな声で呼んではいけない名前もあるんだ。 解説しておくべきであった。
これはまずい、うん!超―まずい。
幸い今日の待合室は皆年寄りばかり。今日に限らず最近は患者も飼い主も高齢者が目立つ。院長に合わせてこの頃ピチピチのお姉さんが少ない。ミニスカートのお嬢さんが来ない。皆耳が遠いのか?アメリカのAVビデオなぞ興味がなくなって久しいのか?
皆知らん顔。幸い! 幸い! 良かった 良かった。

この鈴木一家、実に愛すべき家族なのだ。人も犬も。
鈴木の父ちゃん、筋骨隆々の体躯に風と太陽に磨かれた褐色の肌を着せて、武田鉄也から頭髪の殆どを抜き取った3枚目半の顔が笑うとクシャクシャになる。
このクシャクシャの笑顔が周りの人々の気分を落ち着かせる。ゆったりとした動作ながら、身のこなしに寸分のスキも無い。この無駄の無い動きが彼の全体のイメージを引き締める。
父ちゃん、家柄、学歴、世間的に言う社会的地位全くなし。職業は「何でも屋」建物の解体から営繕業、屋敷林の伐採から庭作りまで何でもこなす。冬場は猪、鹿を追って山に入る。山刀まで手作りする器用者である。語彙が豊富なわけでもないのに、特に話題性に富んだ話でもないのに、彼の語る仕事先のおばちゃん模様に、猟に入った山里の寓話にいつもワクワク耳を傾けてしまう。いつの頃からか彼の来院を心待ちにする様になってきた。

鈴木の母さん、これが又良い。もうすぐ40歳か? 3男2女の5人の子持ち。今時に珍しい子沢山だ。父ちゃんとは対照的な僕好みの細身の美人。小雪ちゃんを数回日焼けサロンに通わせれば彼女に似た者となる。家内は「小雪ちゃんとは一寸違うんじゃない?」と否定的だが、僕は断固として「小雪ちゃん似だ!」と譲るつもりは無い。長い綺麗な髪をアップで結って、首の長さを際立たせる。5反の田んぼで日焼けした顔にグリーンのアイシャドーとオレンジ系の口紅が良く調和している。いつも石鹸の香りが実に爽やかだ。
でももう数年来の付き合いなのにあまりお話をしたことがない。彼女はいつも父ちゃんの笑い声の後ろにあって控えめである。そんな彼女の性格にもよるが、実は僕は彼女に面と向かうと何とも恥ずかしいのだ。
いつも彼の話題に嬉々と心弾ませつつも、どこか彼女の視線を気にする自分がいる。
あの視線は過去のせつなさを思い出させる。もう忘れた筈の苦味を蘇らせる。

子供たち、これが又最高に素敵なのだ。
僕にとっては彼、彼女らは日本の子供達の救いであるかのようだ。
小学校5年生の長男を頭に昨年の春生まれた次女まで、病院へは毎回、家族総出でやって来る。見る度に益々みすぼらしくなるプッシーを長男が抱かえて、その下の長女が3男の手を引いて、2男は母さんの財布をしっかりと握って。次女はいつも母さんの腕の中で眠っている。僕のお気に入りの3男は今日もひざ小僧に絆創膏が貼られている。
奴らは決して父さん、母さんの前には出ない。長男が兄弟を統率し、長女が乳飲み子を含めて面倒をみる。診察中全員が診察台を取り巻くのだが、病院に付いてくる多くの子供達のように仕事の邪魔をしない。そればかりか長男、長女は診療助手の役割まで果たす。
やたらと器具を触ったり、僕の大事な熱帯魚の水槽を叩いて気分を苛立出せることも無い。
「長幼の序」今や忘れられた規範がこの家族にはある。下への労わりが自ずと上を育てる。こんな全くの当たり前が鈴木家の犬たちを自然と「躾」している。
この家族には家庭犬訓練士なぞ無縁の存在なのだ。生まれた子犬たちは両親と兄弟犬、子供たちによって、コロコロと遊びながら70日令まで育てられてから里親に出される。
「犬は群れで生活する動物なんですよ。この子にとって貴方の家庭が群れであると思ってください。お父さんが群れのボスで次は奥さん!貴方で! その次は爺ちゃんでもお子さんでもいいんだけど、ワンちゃんは最下位であることが重要なんです。犬は階級社会の動物です。そして例え最下位であっても自分の位置がはっきりしている事こそが安心して生きてゆく事に繋がるんです。」「最下位だから不孝ではないんです」「渾身の愛情を注ぐ事と、コノ子を家庭内で最も低い身分に置く事とは何ら矛盾しないんです」
鈴木家には全く不要のレクチャーだ。
人は一万年以上も前からの犬と共に生活してきたのに何で今更といつも思う「飼い主教育」。
家族のそれぞれが自分の立場と役割を無意識のうちに自覚し、その中心に労わりがある。

「鈴木さん プッシーを診るわ 診察台に載せて 怜子ちゃん熱を計って?」
「もうじき生まれそうだべさ 具合悪いんか」
「院長 熱ありません」
「先生 このところあんまり歩かないんだわ。 何かヨタヨタして。寝てばっかしなんだ」
「ところで鈴木さん 奥さんや子供たちは?」
「先生 何言ってんの 今日は火曜日じゃ 女房は田んぼ、子供は学校:::」
「あっ そうだったな」  何か一寸の物足りなさ。
「鈴木さん 度重なるお産での消耗してるみたいだわ だって2年間で4回だべさ」
「離乳したら又すぐでは? 体力の回復する暇もねーもん。 点滴するか? 用意して」
「先生 点滴に何入れますか」
「小谷君 フルコースで行こう 大丈夫 大丈夫 一回点滴で刺激してやれば、後はひと頑張りだ プッシーは頑張れる 高カロリー食の缶詰を出しといて」
「鈴木さん この腹じゃ飯の入る余地ないべさ 一日何回かに分けて食わしてよ」
「ところで今年のアマゴはどうだ?」  ここからが本命の時間。もう後からやってくる患者は小谷君に押し付けて、プッシーを挟んで釣り談義が始まる。
時間を忘れるひと時だ。 「このヤロー! もう 尺物を釣りやがった」
:::::::::::::::
「院長!点滴100ml入りましたが、もう少し入れますか」 
ヤ ヤバイ!点滴見てなかった。もう小一時間も小谷君に押し付けてサボってしまったか。
「れ れ 怜子ちゃん 終わろうか 留置針は取っていいよ」
「鈴木さん 出産は今週末だと思いますが、お大事にね」 突然オフィシャルな物言い。
生まれてくる子犬は又、穏やかな家族に貰われていくであろう確信がプッシーのみすぼらしい姿を慰める。
「先生 藤沢周平お好きなんですね」 診察室の机に置き忘れた単行本を見つけて鈴木の母さんが語りかけたあの日を思い出している。
数々の思いが彩る春爛漫の朝であった。体の中にも涼風が駆け抜ける朝であった。
夏が近い。

ブログカテゴリ
過去の記事
ブログ内検索
プロフィール
石黒獣医科医院院長
1948年生まれ
帯広畜産大学獣医学科卒業
石黒獣医科医院 院長
(社)岐阜県獣医師会・理事
獣医学知識、技術に関しては特筆すべきもの全くなし。
渓流釣りから海釣り、ラン栽培、スキー、登山、マリンスポーツ、「ウドン打ち」に至るまで自称「鬼才」::: 所謂 道楽人。
  • 院長・スタッフの論文・コラム
  • 動物病院を上手に利用するために
  • 初めて子犬・子猫を飼う方へ